トップお知らせ > 第2回”こころ”のリレー講演:棟梁「匠のこころ」を開催いたしました!

第2回”こころ”のリレー講演:棟梁「匠のこころ」を開催いたしました!

 ~織田信長サミットに向けた“こころ”のリレー講演~
    第2回講演:棟梁「匠のこころ」
      11月22日(土) 小牧市 東部市民センター にて開催いたしました。

takumi-016.jpgtakumi012.jpgtakumi.jpg
〈鵤工舎 元舎主 小川三夫氏〉
                                           


takumo022.jpg
〈KU‐MA理事 遠藤純夫氏〉



takumi036.jpgtakumi039.jpg

〈小川三夫氏・遠藤純夫氏・副島孝教育長の3氏による会談〉



~織田信長サミットに向けた“こころ”のリレー講演~
    第2回講演:棟梁「匠のこころ」・・・講演録・・・
      11月22日(土)開催 小牧市 東部市民センター
注:カッコ内は、筆者が加筆
【プロローグ】
 11月22日11時34分、新幹線ホームに降りたった小川さんは、私を見つけてひょい
ひょいとカバンを肩にかけて歩いてこられた。この秋、黄綬褒章を叙勲された方である。
現代の名工の方である。気さくで親近感のある方である。

【大工 岡部又衛門以(もち)言(とき)のこと】
 講演は、安土城を設計施工した御大工棟梁岡部又衛門以言の話から始まった。当時の
大工は、造営事業の他、合戦に随行し、戦の準備(陣構え)、飯炊きなども行ったということで
ある。信長サミットに向けた講演ということで、安土城造営の由緒を調べて来られたようである。
失礼ながら、小川さんらしいと律儀さを垣間見た。私も初めて聞く名前で調べてみた。岡部
又衛門以言は、桶狭間の合戦で功を得てから、信長お抱えの大工棟梁として造営事業に
活躍した。最後は、「本能寺の変」で討死している。

【西岡常(つね)一(かず)棟梁との出会い】
 昭和39年、高校の修学旅行で法隆寺をはじめて見た。大きな木をどうやって運んだのか、
五重塔の相輪をどのようにして上げたのかなど宮大工の仕事に興味が湧いてきた。
 昭和41年2月に高校をすると奈良県庁を訪ねた。 県庁では、西岡楢光さん(西岡常一さん
のお父さん)を紹介されたが、法隆寺へ向かう途中、姓は憶えていたものの楢光さんの名前を
忘れてしまい、たまたま言葉を交わしたのが西岡常一さんだった。名前を忘れた結果の運命
的な出会いだった。
 弟子入りを申し入れたが、年が長けている、仕事がないなどの理由で弟子入りは叶わなか
った。その代わり紹介された文部省へ行き、宮大工になる道はないかと相談したが、道具を
使えるようになってから来いと言われた。仕方なく、長野県飯山市の仏壇屋に弟子入りし、
1年間働いた。西岡棟梁のところに来ていた文化財(建築技師)の紹介で島根県の日御碕
へ行った。(神社の修復後の社殿)を図面に遺す仕事をやることになった。3ヶ月分の給与で
1年半もかかった。日御碕には、日本一の灯台があって、誘われて遊びに行った。お目当て
は、螺旋階段の下からの覗き見、しかし暗くてさっぱり見えなかった。
 図面引きの仕事が終わった昭和43年11月、兵庫県豊岡市(酒垂神社の修理事務所)に
行った。4ヶ月ほど経ったとき、西岡棟梁から奈良県(斑鳩町)の法輪寺の仕事(三重塔の再建)
が始まるので来いとの連絡を受けた(昭和44年4月)。
 西岡棟梁から言われたことと学んだこと。
・道具を見せてみろ⇒こんなものは道具ではないとポイと投げられた(刃物研ぎをしっかりやれということ。
・納屋を掃除せい⇒棟梁の道具を見ても良いということ。
・新聞も本も見るな⇒自由がないところに追い込まれることで学ぶということ。

【木の話】
 ・密植・・・木どうしで競争させる。無駄の無い、扱いやすい木になる。
 ・単植・・・ずんぐりむっくりの木になる。 銘木になる。
 ・枝打ち・・木をバランス良く(真っ直ぐに)成長させる。
 もう少し話しをされたようであるが、メモができず、この程度しか書けない。
たまたまNHK世界遺産で放映されていた屋久島の長寿の杉について、小川さんを
お送りする車中で話を伺った。屋久島は、花崗岩盤でしかも急峻であるため土も流れて
しまう。
栄養分が少ないので成長が遅く、年輪が緻密になり、硬くなることで木が強くなる。
このことが長寿につながっているとのことであった。あらためて西岡棟梁の「木に学べ」
 を開いて見た。まさしく“土が木をつくる”、“樹齢千年の木の堂塔は千年持つ。”である。

【弟子の話】
 ・新弟子には、飯を作らせることで、思いやり、段取りを教え込ませる。うまい食事つくりは、
  良い仕事をやることにつながる。掃除をやらせてみる。目に見えるようになる。これが、整理
  整頓と言うこと。食事の支度は、30分。ダラダラやる、やらせることはダメ。時間的に追い詰め
  ることが大事だ。
 ・入舎希望者は、年間300人あったが、最近は、100人程度。今年は、まだ30人ほどの入舎 
  希望者。辛抱できる子も少なくなった。
  不器用な子と器用な子がいるが、最後はやる気のある子が上達する(一つ一つ確実に
  積み上げていく仕事に器用さは要らない)。“不器用の一心”だ。
 ・教えることと教わることは、甘さにつながる。放っておくのが一番(の教育)。(木を)削りたいの
  気持ちが出てくるまで放っておく。 むだを沢山や(らせ)る。先走って教えない。学ぼうという
  気持ちが出てくるまで待つ。素直に学ぶことが大切だ。 教える側も教えられる側も疲れない
  ようにすることが大切だ。 知識を持っていて素直でいることが一番良い。
 ・修学旅行生は、前もって仏像や寺の見方を教わって来る。みんな一律の見方しかできない。
  (個人を尊重しながら、個人の見方や考えの発露を奪っている。 仏像や寺を見て、自分なり
  の見方、感じ方を素直に持って欲しいということを小川さんは言いたいらしい。)
 ・鵤工舎では、大部屋生活で、寝るときも食事も一緒だ(プライバシーもない)。大部屋暮らし
  から優しさと思いやりが生まれる。手を出さず、黙って見守る、待っている。
  (このような環境こそ、学びの場-学習と模倣の場になっている!)

【仕事の話】
・宮大工は、大きな木を扱う。大きなくせがでる。家大工は、小さな木を扱う。くせは出ても
  直せる。
・道具は、(道具ではなく)指の延長である。鑿、鉋、斧・・・。
 ・執念でものづくりした職人は、不満が残る(どこまでも満足感がない。時間をかけからだに
  憶え込ませる、文字や数字ではなく。
 ・ウソ、偽りのない仕事をやっておけば、後世の人から嗤われることはない。
 ・法隆寺の昭和の大修理は、西岡棟梁たちが1300年前の匠(仕事)を読み取ったからこそ、
  できた。棟梁の仕事は、単に伝統を引き継ぐことではない、匠(の仕事)を読み取り、学ぶび
  取ることだ。
 ・刃物研ぎは、研ぎ澄まされた精神を養う。
 ・煎じて、煎じて、煎じ詰めれば勘が働く、僅かな違いにも気づく。

【鵤寺工口伝の話】
  ・伽藍造営の用材は木を買わず山を買え
   法隆寺の大修理では、35%しか木を取り替えなかった。1300年前の工人たちは、檜の
   強さを知っていた。
  ・木の性癖組は諸工人の心組
   木を山から運んでくる知恵があれば、現場で建てることは易しい。き
  ・諸工人の心組は匠長が工人への思いやり・・・・・・
  ・百工人には・・・・・・・・・・・・
  
【エピローグ】
 「匠のこころ」『棟梁-技を伝え、人を育てる』(文藝春秋)にサインして頂いた。
 “不器用の一心 小川 三夫”
不器用者は、不器用者らしくコツコツとやっていこうと思う。
                                                以上

記:こころのリレー講演準備会 佐橋克己

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://npo-komaki.net/cgi-bin/smileserver/mt/mt-tb.cgi/125

この一覧は、次のエントリーを参照しています: 第2回”こころ”のリレー講演:棟梁「匠のこころ」を開催いたしました!:

» 宮大工棟梁の講演会(東部市民センター) 送信元 桃花台新聞
戦国大名「織田信長」に縁のある自治体が、織田信長を用いた地域活性化などを協力して推進する為に毎年開催しているイベント「織田信長サミット」。小牧市は現在、同... [詳しくはこちら]

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

 ~織田信長サミットに向けた“こころ”のリレー講演~     第2回講演:棟梁「...

前のエントリー|| 次のエントリー